【限界を超える力】中国・韓国・日本を跨いで起業した僕の人生ストーリー
- D T
- 4月7日
- 読了時間: 3分
更新日:15 時間前

目次
1. はじめに ただのやらせ動画じゃない
こんにちは、5WINS代表のゆうへいです。
今日は、カメラマンいけしゅんとの撮影裏側からスタート。
観覧車の下での“偶然の出会い”風も、実は…ちょっとした演出(笑)
でも、この動画の本質は「僕の人生におけるリアルなストーリー」にあります。動画はこちらですhttps://youtu.be/B_WlmBiQqcA
2. 理想のライフスタイルは苦労の上にある
「中国にも韓国にも日本にも拠点があって、車も乗り回してて、理想的なライフスタイルですね」と言われることもあります。
でも実際は、ぜんぜん順風満帆じゃない。
今もなお、絶賛“もがき中”です。
最初は中国・上海で、
お金なし、コネなし、言葉も人脈もなしの状態からスタート。
毛布1枚買うのも悩むほど、ギリギリの生活でした。
3. 無在庫販売から始まった物販人生
お金がなくて在庫を持てなかった僕は、「売れてから仕入れる」という受注発注スタイルでスタート。
初めは2〜3万円の利益でも、「満足しない」のが心情。
その後は「教える → 折半する」というスタイルで仲間と成長していきました。
4. 一人では無理。チーム作りが転機になった
どんなに頑張っても、自分一人でできることには限界がある。
YouTubeだって、カメラを持ってくれる人、編集してくれる人がいるから成り立つ。
韓国古着ビジネスでも同じ。
一人で回してたところに初めてのスタッフが加わったことで、事業は一気に加速しました。
5. 韓国古着ビジネスの転機と会員制への道
韓国でも「求人の出し方」すら分からない中、掲示板を教えてもらい、スタッフを確保。
取引先が増え、「辞められない事業」に変わったことで、会員制の問屋としてリニューアル。
現在は、韓国アルバイト3〜4人、YouTubeチームも4〜5人規模で、組織としてしっかりと機能しています。
6. 「何かを得るには、何かを捨てる」覚悟の選択
僕の妻は中国人。
2012年に結婚して、10年間子どもができませんでした。
中国・日本・韓国をまたぎ、何度も不妊治療に挑戦。
専門用語がわからず、言語の壁、ビザの壁、コロナの壁…すべてが試練でした。
そして2024年1月29日、ついに第一子が誕生。
12年越しの奇跡でした。
7. 不妊治療と国際結婚というもう一つの戦い
不妊治療は、終わりのないマラソン。
金額も時間も見えない中で、どこまで頑張れるか。
僕は「子どもが欲しい」という気持ちを優先し、
趣味や時間、お金をすべてそこに注ぎ込みました。
その覚悟が、人生を変えてくれたんだと思っています。
8. 家族を想って買ったアウディと雪の事故
韓国で妊娠した妻を支えるために、
小さくて丈夫なアウディを購入。
「安全性」と「運転のしやすさ」を重視した選択でしたが…
なんと、急坂&雪道でブレーキが効かず、電柱に突っ込む事故が発生。
でもその車のおかげで、大事には至らず。家族の命を守ってくれました。
最後に
LINE登録していただければ、不定期で開催している無料の勉強会や説明会の情報をお届けします。LINE登録者限定の特別動画もご用意しておりますので、気になった方は、ぜひ一度覗いてみてくださいね!
それではまた次回のブログでお会いしましょう!
↓動画バージョンはこちら
スマホの方は↑の画像をタップで登録できます